わたしは道である  

キリストを信じる信仰

わたしは道である

文を読んでいて,繰り返される一定のパターンに 突然気づき,忘れ難い経験をすることが時折あり ます。例えば,ヨハネによる福音書の中で,イエス が「わたしは……である」という表現を何度も使われている ことに気づいたことがあるでしょうか。イエスは このような表現を使って御自分を何かにたと え,御自分がどのような存在か,また人のた めにどのようなことをするかをお教えに なりました。そうした表現をよく研究し てみるなら,救い主について多くの ことを学べるでしょう。

命のパン

「わたしが命のパンである。わたしに来 る者は決して飢えることがなく,わたしを 信じる者は決してかわくことがない。…… わたしは天から下ってきた生きたパンであ る。それを食べる者は,いつまでも生きるであ ろう。」(ヨハネ6:35,51)

過 越 の祭は,イスラエルがエジプトから解放された ことを記念するもので,このとき人々は種入れぬパンを食べま す。この祭が近づいたころ,イエスは5,000人に食物を与える という奇跡を行われました。食べ物を与えてくださったとい う理由で,多くの人々がこの奇跡を見て主に従いました。そ こでイエスは,「永遠の命に至る朽ちない」食べ物を求めるよ うにと教えられました(ヨハネ6:27)。その後,マナについて教え,マナが荒れ野にいたイス ラエルの民のために,天から与 えられた食物であったことを思 い出させられました。さらに, 「わたしが命のパンである」と宣 言することによって,天の御父が 主を通して霊的な養いを与えら れること,また自らもたらした永 遠の命の約束について,お伝えになりました。

後年,過越の祭の時期に,イエスは御自分の体を象徴する ためにパンを使って,聖 餐 の一部とされました。毎週聖餐式 でパンを頂くとき,わたしたちはイエス・キリストを思い起こし ます。主の犠牲や復活,また主の御 霊 を伴 侶 とすることに よって常に霊的な養いが与えられるという約束を思い起こす のです。

世の光

「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は,やみのう ちを歩くことがなく,命の光をもつであろう。」(ヨハネ8:12)

仮 庵 の祭のときには,イエスは御自分を世の光と呼ばれま した。この祭の間は,毎晩,神殿に明かりをともします。世に 送られる神の光を象徴するためです。ヨハネは,イエスこそ 「すべての人を照 すまことの光」であると宣言しました(ヨハネ 1:9)。そして,主は預言者ジョセフ・スミスを通して,キリスト の光とは「あなたがたの目を明らかにする者によって来るも のであり,これはあなたがたの理解を活気づける光と同じで ある。……万物に命を 与える光であり,万物が治められる律法」であると啓示されました(教義と聖 約88:11,13)。

わたしたちの思いと霊はイエス・キリストを通して照らされ ています。主の光はわたしたちを導き,善と悪を見分けられ るように助け,永遠の命へと続く道を示しているのです。

ぶどうの木

「わたしはぶどうの木,あなたがたはその枝である。もし人が わたしにつながっており,またわたしがその人とつながっておれ ば,その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては, あなたがたは何一つできないからである。」(ヨハネ15:5)

イエスは御自身をぶどうの木にたとえられました。この木は 地に根を張って木全体を支えて いるだけでなく,そこから伸び ているすべての枝の隅々にまで 栄養を行き渡らせ,実をならせ ます。イエス・キリストはわたし たちの希望の錨 であり,霊的に 養われ,成長するための 源でもあられます。主 を通して,義にか なった生活をし,善 い業をなすのに 必要な力が得 られます。 また主は,教会の基であり,福音を 宣 べ伝え世界中に広めるのに必要 な権能の源であられます。

良い羊飼い

「わたしはよい羊ひつじ飼かいであっ て,わたしの羊を知り,わたし の羊はまた,わたしを知って いる。」(ヨハネ10:14)

羊飼いのおもな責任は,羊 を食物や水のある場所へ導 き,再び囲いに安全に連れ 戻すことです。また,野生 の動物や羊どろぼうと いった危険から羊を守りま す。自分の群れを知ってい る羊飼いは,1 匹でも羊がい なくなればすぐに気づき,探しに行きます。羊は 羊飼いの言うことに 聞き従い,すっかり信 頼しています。

良い羊飼いであるイエス は,わたしたちが道に迷うときに は呼び寄せ,主の声に聞き従うときには,死と罪という危険か ら守り,安全な牧草地である救いと永遠の命へと導かれます。

「わたしは,いる」

「イエスは彼らに言われた,『よくよくあなたがたに言ってお く。アブラハムの生うまれる前からわたしは,いるのである。』」 (ヨハネ8:58)

「わたしは,いるのである」という簡潔な表現で,イエスはす べてを語られたと言えるでしょう。これによって,主は御自身 が世界の創造主であり,旧約の神エホバであることを宣言さ れました。エホバという名前は文字どおり,「わたしは有る」 という意味だからです(出エジプト3:14参照。訳注――聖文 の「わたしは,いるのである」と「わたしは有る」に当たる英 文は,ともに“I am”。「エホバ」〔Yehovah〕の語源はヘブ ライ語ヤハウェ〔Yahveh〕で,「独立して存在する者」 「永遠なる者」の意)。

イエスは神の御子であり,メシヤであり,わたしたち を罪と死から救ってくださる救い主です。神の独り子 であり,罪のない唯一の御方である主がわたした ちのために成し遂げてくださったことによって, わたしたちは永遠の命を 受け,なるべき自分に なることができます。

わたしは道である

救い主は,「わたしは……である」と語ったとき, 大切な教えを説かれました。